第2編2章:「掃除と歴史・その1」 掃除学関連知識

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問題定義と掃除の歴史


問題定義の背景

大人から子供まで誰もが行う掃除。年末大掃除などは日本の年中行事の一つと言える。



*動画でご覧になりたい方はこちら↓(一部内容が異なります2017年公開)



誰もが行う掃除だからこそ、掃除は誰でもできるし誰が行っても同じという深層心理もあるように感じる。


住まいの掃除を例に挙げると、ハウスクリーニングなどを掃除のプロに依頼した際も、特殊なメニューでない限り、依頼者の中には自分でもできるけど代わりに掃除してもらうという感覚の人も多いという現場の現状もある。


事実、掃除のプロの世界でも、家事代行業者などもあるし、業界自体、掃除の専門性により複雑で多岐にわたる業者が乱雑しており、その全容は明確ではない。


厚生労働省の掃除に関する国家資格についても、掃除のプロですら知らない人もいるので、一般的認知度はとても低いと言える。


そもそも、何を持って掃除のプロと呼ぶのかという、明確な法律も基準もない。

そして、掃除の専門業者の社会的地位は、高いとは言えない傾向にある。


なぜだろうか?


同じ厚生労働省の国家資格でもある医師で例えるなら、家庭で傷の手当や風邪の対処などを行う場合、薬局で購入できるものでなら誰でも手当できるが、家庭の医学と医師が行う医学との違いは、一般的に多くの人が知っている。

そして、医師の社会的評価や地位も高いと言える。

また、医学の基礎理論はまとまっており、そして日々進化し続けている。


掃除はこれほど身近であるのに、掃除の基礎理論がまとまりきれていないのはなぜだろうか?



問題定義項目


• 掃除は誰でもできるし、誰が行っても同じという認識やイメージがある。


• 掃除のプロの社会的地位はそれほど高くない。


• 掃除理論がまとまりきれていない。


この辺の疑問について探る意味でも、掃除の歴史を調べることで、わかることがある。 


そもそも、掃除という行為がいつから始まったのだろうか?

歴史の専門家ではないので、様々な資料から、掃除の歴史について調べまとめた。




日本の掃除と歴史

日本の掃除と歴史に関する参考資料として、大正五年創業の掃除用品を販売している、株式会社高砂のホームページ内「掃除に関する豆知識」と、

昭和2年に個人で製造及び販売を開始した、株式会社テラモトのホームページ内 「お掃除道具の歴史」を主に参照してまとめた。


592年 – 710年(飛鳥時代)

日本に本格的な掃除の文化が根付いたのは、7世紀の飛鳥時代における“大化の改新”前後といわれている。

この頃、仏教思想が中国から入ってきたことで、貴族階級に掃除の励行(れいこう)が普及しはじめた。


710年〜794年(奈良時代)

奈良時代、掃除は宗教と密接な関係にあった。それは、この時代に編纂(へんさん)された日本最古の歌集(かしゅう)『万葉集』にも記されているようだ。


万葉集には、旅に出た恋人の無事を祈って「お掃除をしない」から「どうぞご無事で(帰ってきて)」と、箒神(ほうきがみ)に祈った歌がある。

また、奈良時代には、掃除の際の動作を表す言葉として、「ハク」・「ハタク」・「ハラウ」などの語が用いられていた。

ほうきは、けがれを清める宗教儀式にも用いられていたと考えられる。


正倉院(しょうそういん)には、子日目利箒(ねのひのめときのほうき)という、ガラス玉をあしらったほうきが収められている。

これは、掃除ではなく、皇后(こうごう)が正月に蚕室(さんしつ)を掃き清める朝廷の儀式用に使われたもののよう。



794年−1185年(平安時代)

平安時代(8~12世紀末頃)になると、庶民の生活にも掃除という習慣が根づいていた。

ただし、御殿住まいの貴族に対して、庶民のほとんどは土間での生活でしたので、掃除をするのも煮炊き場であるカマド周辺が中心。


ちなみに、平安時代の「年中行事絵巻」には、疫病神や死者の怨霊をしずめるために、払いのける、取り除く、の意味から掃除用具を持って祭りに参加している姿が描かれている。


その他、10世紀には、宮中で年末に一年の煤を払う「すすはらい」が習慣化した。

宮中の設営と掃除をつかさどる部署が設けられ、年末に行われていた。(※)

「掃除」という言葉が使われるようになったのもこのころからである。


※鎌倉時代に書かれた歴史書「吾妻鏡(あずまかがみ)」には、「宮中で年末にすす払いを行った」との記述がある。

庶民は当然、掃除は自分で行い、貴族は専門スタッフが行う図式が出来上がっているのがわかる。



1185年〜1333年(鎌倉時代)

鎌倉時代の絵図を見ると、現在のものと変わらない形のほうき、ちりとり、ぞうきんなどが広く使われていたようすがわかる。


禅宗(ぜんしゅう)が中国から伝わり、各地の寺で、修行の一環として掃除が励行(れいこう)されるようになった。

禅宗は6世紀はじめにインド人の僧・達磨(だるま)が中国に伝え、日本には鎌倉時代(13世紀)に中国(当時の宗)経由で伝えられ、盛んになった。

「一・掃除 二・座禅 三・看経(かんきん)」と言われるほど、禅寺での生活は「なにはさておきまず掃除から」が基本となっていた。

寺での様子は禅宗(ぜんしゅう)が隆盛(りゅうせい)をほこった鎌倉・室町時代に絵巻に描かれ、今日に伝えられている。


ぞうきんの素材は麻などで、長い木柄の先につけて使っていた。

ぞうきんのことは、禅宗の用語を用いて「浄巾」(じょうきん)と呼ばれていた。



1338年〜1573年(室町時代)

室町時代、掃除に従事(じゅうじ)する人々は「庭掃き」と呼ばれていた。

また、室町時代に入ると商業が発達し、掃除道具を販売する業者があらわれた。

庶民にも掃除用具を買うことができるようになったのは、室町時代のようだ。


さて、価格的に、どの程度の身分の庶民が、購入できたかは疑問も残る。



1603年〜1868年(江戸時代)

江戸時代に入ると、12月13日に大掃除をする習慣が定着した。


徳川家康は1603年に江戸城を拠点に江戸幕府を開いた。幕府は、12月13日に江戸城の「すすはらい」(現代でいう大掃除)を行うことに決め、やがて一般の人たちにも広り、定着していった。

もとは12月20日ごろに行われていたが、20日が1651年4月20日に亡くなった三代将軍徳川家光の月命日であったため、この日を避けて13日にしたと言われている。


江戸時代には、ほうきを売り歩く「ほうき売り」だけでなく、古いほうきを回収して、いくらか払うと新しいものととりかえてくれる「ほうき買い」という商売もあった。

このような商売が出始めたということは、掃除が庶民により身近な存在となっていった時代でもあった。


大掃除の由来は、「すす払い」、すなわち、新しい年を迎える清めの日が大掃除となり、正月を迎えるにあたり、武家だけでなく民家でも多くが13日をすす払いの日としていた。

それは、単に掃除をして衛生的に正月を迎えるという目的よりは、年神祭の準備としての信仰的な行事であった。

つまり、正月を迎えるため方角や暦の凶日(きょうじつ)による災いを避けるため、一定期間、身を清めて家に籠る行為の始まるのがこの13日で、そのための準備だったのだ。


ちなみに、江戸時代の人たちの日用品としての資料を見てみると、竹ほうき、土間ほうき、ちりとり、座敷ほうき、はたき、など、掃除道具は現在使われているものとあまり変わらない。

また、寺子屋では、読み書き以外に、寺院と同様、掃除が重要な日課として重視された。掃除は課外作業のひとつとして、当番制で行われていた。

この時代から、すでに現在の学校掃除と近いやりかたで掃除が行われていた。



現代日本

江戸時代、本格的に庶民の間でも掃除が行われるようになり、衛生的環境の確保というよりは、宗教的な意味合いが強いようで、現代でもそのなごりがあり、年末大掃除が年中行事となっているようだ。


単純に、大掃除を行うのであれば、春や秋に行う方が、季節的にも汚れの発生量が多く、気候的にも窓を開けて掃除しやすいように感じる。


欧米には春に大掃除を行うスプリング・クリーニングという習慣がある。冬の間に暖房を目的に石炭などを利用したことによって、すすなどで汚れた家を大掃除する。

暖房に関係することからも判るように、比較的寒い地域において、春に大掃除を行う習慣だったと言うこともできる。

しかし、私たち日本人には、掃除に対する「衛生性」以上に、「宗教的」な一面も根強く残っているのかもしれない。



日本の掃除の歴史について記したが、では、厚生労働省が認可する、掃除の国家資格の原点ともいうべき、公衆衛生の歴史的背景は、どのようになっているのだろうか。



世界の公衆衛生の歴史

公衆衛生は、世界の歴史の中から生まれてきた。

その歴史と比較しても、日本は歴史的に、公衆衛生大国といえるのではないだろうか。


ビルの清掃管理などに関する国家資格の学科内容は、公衆衛生を重要視している。

公衆衛生の説明に関しては、日本公衆衛生学会理事長挨拶文より抜粋して紹介すると・・・


*2107年・略文 ----------------------------------------------------------------------------------

 公衆衛生の「衛生」とは、今よく使う「健康」「保健」という言葉とほぼ同じ意味です。

 感染症が流行し多くの生命が奪われる時代、当時の公衆衛生はまさに「生」(命)を「衛る」仕事だったのです。今では感染症で命を奪われることは比較的少なくなりましたが、現代社会・環境中には多くの健康阻害要因が複雑多岐にわたって存在しており、これらに対し、公衆衛生とは人々の健康生活を守り増進させる学問であり、技術であり、概念であるといえます。

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では、公衆衛生の歴史について紹介する。



紀元前312年〜3世紀頃(ローマ時代)

公衆衛生は人間の集団生活とともに始まり、その歴史は極めて古い。


例えば、歴史の教科書に載っているローマ水道(ローマすいどう)は、紀元前312年から3世紀にかけて古代ローマで建築されたとされている水道。

公衆衛生学的意味からも、古代ローマ市民の多くの生命を疾病から守ったと評価される。


ちなみに、日本でも水道は、16世紀半ば1500年ごろの室町時代後期相模の戦国大名、北条氏康(うじやす)によって小田原城城下町に小田原早川上水が建設されたのが最古の記録とされている。

また、国土交通省の下水道の歴史の記述では、下水道の概念の登場は、弥生時代とされ、飛鳥時代の藤原京には、かなり大規模な排水施設が存在した。


794年〜1185年の平安時代には、高野山に水洗便所が存在したと言われている。




1760年〜1830年頃(18世紀後半〜19世紀前半)

近代の公衆衛生は世界に先駆けて市民革命と産業革命を経験したイギリスで始まった。

産業革命の結果、多くの住民が都市に流れ込み、スラム街に住むようになると、貧困と不潔と疾病の悪循環が始まり、その対策から近代公衆衛生はスタートした。


補足事項として、17、8世紀の頃、上水道があったのは江戸とロンドンだけとも言われている。

江戸は常時使えたが、ロンドンは週3日、7時間の給水日のようで、パリは19世紀ごろまで、水道は飲料水としての安全性が問題視され、劣悪な衛生環境だったと言われている。

水があるから、体を洗ったり、食器を洗ったり、身の回りを清潔にできるので、衛生的な生活には欠かせない上・下水道の役割は、とても重要だと改めて感じる。



公衆衛生学と予防医学の歴史

1801年〜1900年(19世紀)

公衆衛生については、産業革命後のイギリスにおける公衆衛生活動から、1848年に、イギリスで公衆衛生法が成立した。

19世紀末になると予防医学が発達し、その影響によりイギリスとアメリカで公衆衛生大学院が設立されてから、公衆衛生学の始まりがあると言われている。


1947年(昭和22年)

日本では、公衆衛生学としての本格的発展は、昭和 22年に日本公衆衛生学会が発足してからだ。

大学、研究所と行政の第一線で活躍する保健所医師や保健師等の公衆衛生従事者の交流と連携による研究と実践(じっせん)活動の機運が高まったことによる。



1970年(昭和45年):掃除の国家資格

公衆衛生学の本質は、人々の健康問題の原因を主として人間と社会・環境の関係性の中で分析し、その予防方法や解決方法を研究し、政策の立案や法律・制度の充実を図り、人々の健康意識を高め望ましい行動を促すことなどを社会をあげて実施し、その評価についても研究するなどの、まことに実践的な学問であり技術だ。

主たる分野だけでも母子保健、学校保健、成人・老人保健、産業保健、感染症、生活習慣病、精神保健福祉、食品衛生、栄養改善、環境衛生・環境保健、国際保健など多岐にわたり、自然科学的及び、人文社会科学的なあらゆる学問が必要とされる、きわめて学際的で集学的な文理融合の学問領域である。


公衆衛生学は、あらゆる学問が必要とされる文理融合の学問領域。

公衆衛生基準項目に清掃があり、掃除はもっと広い意味合いで使用される個人衛生?と考えている。


では、公衆衛生学と掃除に関する国家資格の経緯について紹介する。



掃除に関する国家資格

近年の日本では、建築物における衛生的環境の確保に関する法律(昭和四十五年四月十四日法律第二十号)が定められ、多数の者が使用し、又は利用する建築物の維持管理に関し環境衛生上必要な事項等を定めることにより、その建築物における衛生的な環境の確保を図り、もつて公衆衛生の向上及び増進に資することを目的とする。

掃除に関する国家資格も、この法律により確立されたと言える。


では、これらの掃除に関する歴史が、冒頭でお話しした、問題定義の解決にどのような影響があるのだろうか?


その辺を次回に考察していきたいと思う。



掃除学関連知識の第2章「掃除と歴史 その2」 について解説したいと思う。



著者:植木照夫(クリーンプロデューサーベスト株式会社 代表取締役、掃除学研究所所長)

植木照夫の掃除学研究所

掃除学研究所は、植木照夫により発案された、掃除理論の集約的公式「掃除の方程式(うえきの方程式)」と「掃除がラクになる法則(うえきの法則)」を基に、幅広く関連知識をまとめた新しい学問の研究サイトです。